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2010年11月19日金曜日

Kilroy was here

第二次大戦中、マサチューセッツ州クインシーの
ベスレヘム・スチール・フォアリバー造船所で
ジェームス・キルロイは検査官の仕事をしていた。
製造過程の軍艦の鉄板部分に打ち付けられた鋲の検査をするのが仕事だった。
鋲を打つ工員はその数で給料を支払われていたので
キルロイは数え終わった鋲にチョークで印をつけていた。
しかし彼が休みの時に工員は数え終わった鋲の数をわからないようにして
給料を多くもらうため、そのチョークを消してしまう。

それに気付いたキルロイは対抗上消えにくい黄色のクレヨンを用いるようになり
更に印をつけた後、さらに鉄板に大きく"Kilroy Was Here"と書き込んでいった。
普通ならこうしたチェック・マークは上塗りのペンキで消されるが
戦争が激しさを増してくるとそのような余裕がなくなってた。
出荷された軍艦は"Kilroy Was Here"と書かれたまま、戦地へと旅立って行く。

軍艦に乗り込んだ兵隊達は"Kilroy Was Here"の意味がわからない。
しかし何か特別な意味があると考えた。
アメリカ軍の兵隊達は進駐した先や配備先や野営地などに
落書きとして書き込んでくるようになり
更に"Kilroy Was Here"の落書きを見た人が模倣する為
世界中に広まって行った。


アメリカのクラシカル・アニメのピーナッツで
スヌーピーが"Kilroy Was Here"と落書きするシーンがあるし
トムとジェリーでも缶詰のフタを開けてみると中には食べ物は無く
"Kilroy Was Here"と書かれていたエピソードがある。

ポツダム宣言の時、ヨシフ・スターリンはポツダムの街の至る所で見かける
キルロイという名前に「一体キルロイとは何者だ?」と聞いたという。
もちろん答えられる者は居ない。

アドルフ・ヒトラーは捕虜にした連合軍の装備には
ことごとく"Kilroy Was Here"と書かれていたので
どんなところにでも容易に入り込む超人的なナチスのスパイだと信じていたという。

戦後、一般的では"Kilroy Was Here"と落書きする習慣は廃れたが
アメリカ軍の中では健在で
イラク戦争では、ファルージャの学校で"Kilroy Was Here"が確認された。


ってかなりどーでもいい話なんだけど
こういうのってなんか面白いでしょ?
いわゆるバタフライエフェクトの一種だね。

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